パンセ(みたいなものを目指して)

長年付き合ってきたGooブログからの引っ越しです 思いついたこと、日記風なもの、年相応の社会的なもの、市政のこと、音楽、サッカー、つまりはごった煮の内容です

ホッとしたが、国勢調査員として現場を経験して思うこと

昨日、国勢調査の役目を終えた
午後に指定された提出書類と余った調査票とか封筒とか
個人情報が書かれたA4の用紙を市役所まで持参して
そこで担当職員と確認しながら不備な部分を少し訂正して
それで全てが終了した

肩の荷が降りたという感覚はこういうのを言うのだろう
正直、ホッとした
部屋を占めていた沢山の書類とか大きなバッグはやっと眼の前から消えた

一月半ほどは決してストレスの無い日々ではなかった
真夜中に、あれどうだったかな?と急に思い出して
書類を引っ掻き回して、同居人に「夜中に何していた」
と聞かれることもあった

調査員の苦労とか不満は昨日の中日新聞の投書欄にもあったが
その気持はよく分かるものだった
調査員同士でもアパートを担当することになった人と話した時には
お互いに共通した問題があってお互いに大変だと慰めあった

実は10年前も調査員をしたことがあった
だから全体像がわかっていた分、すべきことはがわかったが
初めて担当した人は大変だっただろうと想像した

10年目と違っていたのは、担当地区の地図が印刷されたものを提供されたこと
以前はその地図を書かなければならなかった(その前の地図が参考に与えられたが)
市の職員は「業者に頼んで描いてもらった」と口にしていたが
これは良い判断だったと思う

今ではQRコードからスマホで回答できるようになっているが
新城市のように年寄りが多い地区は、それが機能している訳ではなかった
彼らは郵便を投函したり、調査員に封筒を渡して済ますことが多かった

圧倒的に困ったのはアパートだった
何度訪問しても会えない
封筒をポストに入れても取り込まれたものや、そのままだったりで
とにかく反応が無い
でも締め切りの時間だけが迫ってくる
このようなのは本当に困るし、ストレスが溜まってしまう
近所の人から聞き取りで調査員が代わりに答えるという手段はあるが
近所の人も知らないという実態がほとんどだ

でも、とにかく終わった
本当に解放さてた気分だ

フト、これに関連して変なことを考えた
それは自分ら調査員は年寄が多いとか、一人暮らしが多いとか
こうした現実を目の当たりして実感しているが、調査員でない人たちは
こうした現実世界を知らないというか関心が及ばないでいると思われる
この現実認識の差は、実は今回の選挙の判断でも大きな違いをもたらしたように思う

現場を知っている人は(あるいは市政に関心のある人は)現状に危機感を覚える
それはもしかしたら杞憂と呼ばれるものかもしれないが
それでもセンサーのごとく反応する直感は、その役目を果たすべき人にしか働かない

だが問題はこの危機感は市民の共通認識とはならないことだ
市議会を見ていれば、あるいは新聞でも良く読んでいれば現状の市政は
問題が無いことはない、、と感じると思われる
つまり現場の近くにいる人は危機感を感じる

でも、大半のそうした情報に疎い人たちは一票をどのように行使したのだろう

ところが、結果として民意とか大多数の判断は、案外間違っていないかもしれない
と思うこともある
それは現職の議員さんの獲得票をみると、それが議員としての評価となっていて
それは案外妥当な答えになっていると思えるからだ
得票数が下位に沈む議員は、確かにそれなりの仕事しかしていなかったり
少しばかり人間性に問題があると思われることも、まるで有権者は知っているかのようだ

いずれにせよ適切な判断のためには、ちゃんとした現状認識が必要と思われる
しかしその現状認識(国政でも市政でも)を伝えることの難しさは、、、並大抵ではない

まとまらない話