「オールドメディア」
これが個人的に今年よく耳にした言葉
テレビ・新聞などの総称で偏向しているとか
何か隠しているとかそういった批判が多い
それに対して今の世にはSNSの中にこそ真実がある
とする層は少なからず存在する
断定や感情に訴える表現が多いのでわかりやすく
反対に難しい勿体ぶった説明をしがちな人々を
上から目線と決めつけているようだ
(この態度は反・知性者主義のように思える)
ところでオールドメディアと批判された方も
偏向しないために両論併記といった手段をとる場合がある
でも、この両論併記は本当に良い手段なのだろうか?
と疑問を覚えたのだった
何故そんな風に思ったのかといえば、裁判の経験からで
裁判を行うと実感するのは「どんな言い分も返す言葉がある」
という事実
審議の道具である準備書面で、ある考え方や事実を訴えると
その反論としての概念や実例が返される
するとそれなりの答えや反論があるという時点で
先の訴えは無理筋のような印象を持たれるのではないか
と想像してしまったのだった
手続き的正義というのだそうだが、内容に踏み込んで判断すると
個人的な主観が判断に左右するので、それを避けるためには
手続きが正当になされているか否かで判断をするほうが
客観的だとする考えで、これが行政では主流の考えのようだ
ところでメディアは批判を受けないために、(日本では特に)両論併記
という方法を取ることが多いそうだ
それは偏向と言われる説の他に、それに対する反論として
「こんな考えもあります」を同じ量の紙面・放送時間で行うのが
公平と考えているようだ
でも、それは正しい伝え方なのだろうか?
例えばある考えの人が圧倒的に少なくても
両論併記で対抗意見としてそれを取り上げるということは
少数意見も同等の価値を持つ意見とみなされてしまわないだろうか
いろんな考え方があり、それを認めるとしても
何か結論を出さねばならない場合には、討論・審議の技術論として
些細な意見は切り捨てる必要があるのではないだろうか
(それは論点整理とか争点整理という過程で)
これは漠然と思ったことなので、賢い彼にこんな風に聞いてみた
問 メディアは中立を保つために両論併記をすることが求められている
と言われていますが、それは僅かの人が説く対立意見でもそうすべきですか
そうすると意図的に対立は利用されそうですが
答 一般に言われる「メディアは中立のために両論併記すべき」という考え方は、
民主主義社会において 多様な意見を保障する という点では重要です。
しかし、実際には、専門性の有無、事実に基づくか否か、社会的影響の大きさ
学術的コンセンサス(専門家の合意)が存在するかを考慮せずに、
単に賛成・反対を並べると、かえって 誤ったバランス(false balance) を
生む危険があります。
すると上記のように、忖度したかの様な答えが返ってきた
そして自分の印象とか考えはそうは間違っていないように思えて
少し安心した
回答はボリュームがあって、上記に続いて
対立が意図的に利用されるリスク
あなたが指摘された通り、
強い声を出す少数者が
「議論を起こすために」「注意を引くために」「政治的・商業的利益のために」
意図的に対立構造を作り出すことがあります。
メディアが単純な両論併記を続けると、極端な意見が過大に扱われる
社会を分断する言説が広まりやすい「真実より対立の演出」が優先される
(エンタメ化)という状況が起こり得ます。
裁判では個人的には、反論があったとしても
その内容は、現実に生活している経験を積んだ社会人や庶民の感覚からすれば
少し違うのではないか?と思われることだったものが、正当な(?)反論
として成立していたことに違和感を覚えたのだった
とうことで、日曜日にふさわしくないが
自分の頭を占めていることついてアウトプットしてみた