パンセ(みたいなものを目指して)

長年付き合ってきたGooブログからの引っ越しです 思いついたこと、日記風なもの、年相応の社会的なもの、市政のこと、音楽、サッカー、つまりはごった煮の内容です

実際の現場と中継とで受取る印象の違い

生演奏を聴くとかスポーツを現場で見るのは
中継されたもの見るのとは思いのほか印象が異なる
昔見た大相撲ではテレビでは退屈な仕切りが、さほど気にならずに
むしろさっさと過ぎていく気さえした

これも大昔の(父に連れて行ってもらった)話だが
プロ野球でも時間がかかる原因の一つの牽制球が
現場ではさほど気にならなかった

サッカーでもテレビではあまり得点の香りがしないコーナーキック
現場で見るといかにも入りそうな雰囲気に満ちている
そして現場では得点シーンのビデオの再現がなくても
(今は大型ディスプレイで再現されるが)
記憶の中では思いのほかちゃんと再現される
(ここでフェイントをいれて落ち着いてシュートしたとか)

結局のところ、現場での見方には集中力が自ずと働いて
受け取る情報量がビデオより圧倒的に多いからだと思われる

コンサートは圧倒的にナマがいい
静寂のなか息を呑む緊張感
演奏家の存在を意識せず、ただただ音楽に没入する感じ
そんなのはライブの醍醐味だ

ところで、先日行われた新城市の市長立候補予定者による
公開政策討論会をナマで体験した人はあれをどのように感じただろう
ケーブルテレビとかYoutubeで視聴した人もいるが
その場にいた人は家庭での気楽な視聴と違い、討論に話に集中せざるを得ない
そこでは話の内容は当然だが、話し手の動作や表情まで自然と目から入ってくる
そしてそれは全体としての個人の印象という形で刻まれる
それはいったいどのようなものだったのだろうか?

そこで現地に赴いた話かけやすい人にざっくりとした印象を聞いてみた
すると案外同じ様な感想を述べていることに驚いた
登壇者に対する支持不支持とか良い悪いは別として
彼らが受け取った全体的な印象は表現は違うがほぼ同じようだった
(〇〇のほうが押していた、、とか)

人は何を持って投票するのだろうか?
巷で言われるほど政策の良し悪しではなさそうな気もする
(そもそも政策の良し悪しを判断するには基礎的な情報が必要で
 それを熟知している人がどれほどいるか疑問だ)
地元から出ているから、知ってる人だから、借りがあるから、、

新城市は明日から市長、市議会議員の選挙戦が始まる
庶民が面倒くさいことを考えたり調べたりしないで済ませるために
その代わり役割を担う人を選ぶのだが、最近の社会を見ていると
そもそも庶民は適切な判断ができる集団なのか?と不安を覚えてしまう
(もっともそれを含めて、民意としての結論が出るのだが)

4年に一度、直前になって自分の代わりを担う人のことをいろいろ考える
というのでは不十分と常々思っているが
それでも4年に一回は考えるということは
全くそうした機会がないよりは「まし」とも言えるかもしれない

でも昨晩経験した選挙の決起集会を見ると、議員さんは選挙がないと時でも
必ずやってくる選挙に向けていろいろ努力しているものだな、、とフト思ったりした
(ライオンズ、ロータリークラブ、JC加盟とかその他の役目を受けたりと)

ところで、その場で出た議員定数の削減の提案は、会場では賛成する声が多かったが
現実論としてこれは実現されるのだろうか(彼は議員間に声をかけるだろうか)
国会でも同じテーマが問題となってるがこれは単なる偶然とはいえない
必然性があるからと思われるが、、さて