パンセ(みたいなものを目指して)

長年付き合ってきたGooブログからの引っ越しです 思いついたこと、日記風なもの、年相応の社会的なもの、市政のこと、音楽、サッカー、つまりはごった煮の内容です

新城吹奏楽団 第101回定期演奏会

100回目の先回は、99回目に行われたクイズに当たって
招待券を2枚手にすることができて、その1枚は知人に渡した
101回目の昨日はその知人から
「同時刻の別のイベントに行くことになって、行けなくなったから」
と彼が購入したチケットを頂くことになった

午後2時から開催された新城吹奏楽団のコンサート


年に二回の定期公演、これがなかなか楽しい
演奏曲のほとんどが10分くらい
長くて集中力を要するクラシック音楽とは違って気軽に楽しめる
何よりも演奏しているメンバー自身が楽しそうだ
でかい音を思いっきり出す生理的な快感は、出す方も味わう方も
生でしか味わえないものだろう

プログラムはこんな感じ


大トリはショスタコーヴィッチの5番の交響曲の第4楽章
勢いがあって派手で、これは盛り上がるだろうな!
とポスターを見た時点から想像する

最初の曲は、新城吹奏楽団の実質的な運営者だった故山本家寛さんの曲
毎回のように彼の曲は演奏されるが、難解とは言わないまでも
今の気分を滲ませる音楽で、美味しいメロディはそんなに無い
むしろ響きの鋭さみたいなものが主体で、武満徹の音楽を連想させる
同じ現代のひとの次の演奏曲と比べると日本的な感覚がよく分かる
と同時に、聞きやすいメロディがあることの良さも実感する

真ん中のプログラムはバッハの曲
アリアは前はバッハの音楽への導入部のようで
2曲目はまとわりつくような伴奏に併せてコラールがトランペットで
奏されるが、その明るさというか輝きの気持ちがとても気持ちよかった
そしてフーガト短調はバッハの得意な対位法による作品
演奏している人たちは、和音でその瞬間の気持を表すのではなく
個々の声部がそれぞれ主張する音楽を楽しんでいるのだろうか?
と気になった
それは、小学生の時、器楽演奏で少ない楽器から徐々に楽器が増えて
  ハーモニーが確立されるようになった時、自分はふわっとした心地よさ
を感じたのだが、個々の声部が独立して合わさっていくのは
奏者の感覚としてはあのふわっとした感覚とは違うのだろうな
と思ったのだった

また少しの休憩を挟んで、サンサーンスの「サムソンとデリラ」からの音楽
聞いたことはなかったが、異国風のメロディがなかなか面白かった
特に難しそうなところはなく、その異国風自体を味わえばそれで良さそうな感じ
そして大トリのショスタコーヴィッチの5番、
大きな音をみんなで思いっきり出すこれは楽しいだろうな、、と聞いてる方も実感する
多少の演奏のほころびなどは気にならない
イケイケ、ドンドンみたいに始まったらノーブレーキで進んで行く感じ
何回か前にもこの曲は演奏されたような記憶があるが
奏者自身も演奏したい曲なんだろうな、、と思ったりする

実は家に帰ってからレコードでショスタコーヴィッチの5番の最終楽章を
復習の意味で聴いてみた
この最後の楽章もいいが、その前の夜を感じさせる第三楽章もなかなか良い
実演ではゲルギエフ指揮のマリエンスキー管弦楽団で聴いたが
ゲルギエフはロシアのウクライナ侵攻以後、音楽会の主要ポストから
外されて今は何をしているのか、、と気になる

ということで日曜日は、なかなか良い日だったということ
ショスタコーヴィッチの5番の終楽章はこんな曲


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マーラーを思い起こさせる第3楽章はこんな曲


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