パンセ(みたいなものを目指して)

長年付き合ってきたGooブログからの引っ越しです 思いついたこと、日記風なもの、年相応の社会的なもの、市政のこと、音楽、サッカー、つまりはごった煮の内容です

その国の印象は、出会う人によって決められる

自分の住む新城市にも外国人が増えている
近所のアパートにはブラジル人、ベトナム人などの家族や友人同士が住んでいるし
ブラジル人の小学生は月木の小学校登校時には、挨拶を交わし
できるだけ会話をするように心がけている
彼は会話は聞く方はできるが、話すのが難しいようだ
それでも話に首を振り、なんとか会話ができているのかもしれないと思う

車を走らせているといろんなところで外国人を見かける
自転車に乗っている人、歩いて友人同士が話をしている人
以前と違うのは外国人の国籍が多様になっている気がすることだ
前は、ブラジル人、中国人くらいだったのが
今はフィリピン人、ベトナム人とその他のアジア系の人たちも見かける

最近は近くのスーパーのレジ係に外国人が就くことが多くなった
彼女たちの胸元にはカタカナで書かれたネームプレートがある
それを見るたびに、どこの国の人だろうかと思う

研修中の人、既に研修が終了して正規にその役目を果たしている人がいるが
数日前、研修中の若いアジアの人が、レジから不意に抜け出した
自分のレジの番だったので、何だろう?と思ったが彼女の行動を見ると
隣のレジの精算を現金で行っている人の足元のお金を拾って
それをお金を落とした人に渡していた
彼女の位置からは財布からお金が落ちたのがよく見えたのだろう

彼女がレジに戻ったので
「ご苦労さま、エライね」と声がけをした
続いて「もう慣れましたか?」と聞くと
「はい」と答える(確かにテキパキとスピーディーにこなしている)
それから気になっていた国籍を聞いてみた
「お国はどちらですか」
「ベトナムです」
「そうですか、これからも頑張ってください」
彼女は少し微笑んだ気がした

この女性とは違うが以前、同じように
「お国はどちらですか?」と聞いた人がいる
その人は「ミャンマーです」と答えた
意外な答えだった
でもミャンマーのイメージは軍事政権の独裁が浮かんだので
お金を稼ぐために日本に来たというより、
政治体制から逃れるために来たのかもしれない
と勝手に想像した

いろんな理由で、いろんなところから日本に来ている人々
若くて人生で一番感じやすいいい時期に
日本で暮らして何を感じるのかと想像すると
できることなら、振り返った時「良かった」と感じてほしいと思う

その国の印象は、多分出会う人によって決められる
いい人に会えば、いい国
意地の悪い人に会えばよくない国
難しい理屈よりも、人の感情なんてそんなものだと思う

だから別の国の人間同士が、お互いに良い印象を持って付き合えられるなら
少なくとも「あの人達がいる国と戦おう」ということにはならないと思う
それは理想主義ではなく、むしろ現実主義だと信じたい

確かに、自分がドイツであった人の中には(彼にある場所を尋ねた)
暗い目をした人に何処か不安を感じさせる移民のような人がいた
彼は親切心から道を教えてくれたのではなく、後でお礼金を要求した

でも別の全く反対の良い印象の思い出もある
計画ではすんなりローテンブルクまで行けるはずの電車が
何故が途中までしかいけないことがあった
(どうやら線路の改修中で電車は途中で折り返し運転をしていたようだ)
そんな時、少しお年を召した女性が困っている自分を見て
色々と説明や、駅のツーリストビューローに行って行き方を聞いてきてくれた
それ単なる親切心からの行動だった
実はこの時の印象が旅全体の一番の思い出になっていて
彼女の写真を見るたびに(写真を撮っていいかを聞いて撮影した)
あの時のほんわかした気分を思い出す

人は出会う人によって、捉え方も考え方も違ってくる
できることなら自分たちは、遠く離れて来た人たちに
良い印象を与えることができているか
を考えることが、地味だが現実的な平和を導く方法だと思いたい