パンセ(みたいなものを目指して)

長年付き合ってきたGooブログからの引っ越しです 思いついたこと、日記風なもの、年相応の社会的なもの、市政のこと、音楽、サッカー、つまりはごった煮の内容です

「自由からの逃走」「大審問官」「全体主義の起源」の共通点

皮肉屋のショーペンハウエルは「読書はそこから安易に情報を得ることができるので
自らの頭で考えることをしないようになる」と(冗談混じりに)警告した

なるほど、、と思ったが、幸か不幸か自分は読んですべてを理解で来るほどの
頭はなく、読後は何となく漠然とした印象しか残っていないことが大半だ
だからその指摘は当たらないと考えている

その漠然とした読後で、なんか似ていると感じた2つの本がある
それは以前も取り上げたことがあると思うがフロムの「自由からの逃走」と
ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟のなかの「大審問官」だ

フロムはドイツ人が一時期ヒトラーを心酔しホロコーストを起こしてしまった原因
とか心理的な傾向を研究したが、そこには「自由からの」の言葉で代表される概念が
説明されている
かつて人は「自由への追求」という方向性を求め、それは少し実現されつつあった
しかし、その結果その自由は、今で言うなら自己責任が求められるために
それらは重荷になってしまった
人はそれほど強くないので、自由になった不安から解放されるためには
権威者とか強い発言や行動をする人に従うようになった
それはヒトラー支持に至ったと仮定している

カラマーゾフの兄弟の需要な「大審問官」の章は(次男イワンの作り話だが)
突然スペインに現れたキリスト本人と思われる人物に、現実世界のキリスト教
仕切っている大審問官は「お前の出番はもうない!」と断言する話だ
牢屋に入ってるキリストに向かって大審問官は
「お前は、人はパンのみにて生きるにあらずと言って、なにかに左右されることなく
 自分で考え生きることを求めたが、人はそれができるほど強くない
  彼らが望むのは奇跡とか現世的な救いで、決して自己完結などではない
  今は自分たち(大審問官)が彼らに不安なく生きられる方法を教え、行っている」
と自己弁護する
この大審問官の言い分はリアリティがあって、返す言葉はあったとしても
虚しく響きそうでキリストと思われる人物は言葉で返す代わりに
大審問官にキスをするだけだった

2つの話は、孤独とそれを乗り越える人間の対応が如何に難しいかを
別の表現様式で答えている

そんなことを考えていたら、もう一つ似たような指摘があった本を思い出した
それはハンナ・アーレントの「全体主義の起源」の中の「アトム化された人間」
という表現だ
アトム化された人間とは、生成AIの力を借りると、

🧩 アトム化の特徴と背景

•  社会的絆の崩壊  
家族、職場、宗教、地域共同体など、個人を支える社会的ネットワークが崩れ、孤立した状態にある。
•  階級や政党による代表の喪失  
かつては階級社会や政党が個人の政治的声を代弁していたが、それが消失し、個人は政治的に無力化される 。
•  自分以外に頼れない状態  
他者との信頼関係が失われ、個人は「自分自身以外の何者にも頼れない」状態に陥る B。
•  虚構への依存  
現実の複雑さに耐えきれず、全体主義が提供する「首尾一貫した虚構の世界」に安定や意味を見出すようになる 。

ここで哲学者であるハンナ・アーレントは2つの言葉の違いを明らかにしている
それは「孤独」と「孤立」で、生成AIの説明によると
  ・孤独:思索や創造に向かう豊かな状態。哲学者や芸術家が自ら選ぶことがある。
 •  孤立:社会的・政治的なつながりを失った状態。全体主義が利用する危険な土壌。

孤立から孤独に至ることはありそうだが、自分がこのような問いに興味が湧くのは
現代の社会がフロムやドストエフスキーハンナ・アーレントが分析している
社会になっている(近づいている)からと自覚するからだ

現代では圧倒的な影響力を持つようになったSNS空間は
自分には少し歪なものに感じることがある
それはそこに参加する人たちが敵を作り、怒りの感情を利用し
その空間内の一体感と充足感を求める行為は権威主義とか強力なリーダーを
求めることになるが、それらは実は当人たちの自信の欠如みたいなものを
感じるからで、その自信のなさはどこから来ているのだろう?と考えてしまう

実は科学の世界だけでなく、社会学や哲学の分野も過去の研究の上に成り立っている
ドストエフスキーからフロム、そしてハンナ・アーレントの流れは
分野は違うが、底辺に流れる通奏低音のような肝心なところは
共通しているような気がする
それは、孤独とか孤立とか何者にも所属しないことへの人々の不安のように思われる

ところで最初の話に戻って、本を読むことの実益は、こうした本を読むことで
人間は孤立したり孤独になったりすることがあり
その対策として人はなにかに頼る傾向があり、過去にはそれがために
良からぬ結果を生み出してしまった、、という実例と分析を知ることできることで
そういうことを知っていると、自己を守るために安易にSNS空間の便利さや
心地よさだけに頼るのは危険だと内的な信号が働くようになると思う


土曜日らしくない面倒くさい話