パンセ(みたいなものを目指して)

長年付き合ってきたGooブログからの引っ越しです 思いついたこと、日記風なもの、年相応の社会的なもの、市政のこと、音楽、サッカー、つまりはごった煮の内容です

成長すると、おしゃべりでなくなるようだ

「おじさん、道からはみ出ちゃダメだよ」
5年生のAちゃんが2年.3年の子と話していた自分に後ろから声を掛ける
「そうだね、線の中から出ないようにしなきゃね」

月曜日と木曜日のボランティア
あいさつ推進運動で小学校校門までの付き添いは
健康のためと、子どもたちとの無邪気なおしゃべりが楽しいので
やらされ感は全く無いが、今朝こんな会話があった

歩行者が右端を歩くために、道には一人か二人分のスペースを
確保して白いラインが引いてある
その時は子供を守るために車が通る方に移動したのだが
少しだけ線からはみ出したので、彼女が指摘したのだった

女の子はしっかりしている!と思う
ハリー・ポッターでも女の子の真面目さと男の子の幼稚さは
しばしばピックアップされたが、自身の記憶の中にも
女の子の生真面目さとか、先生に言いつけるみたいなところが
なんかズルいな、、なんて思ったがあった

ルールは基本的に女の子の方が守るかもしれないと感じる
男の子は守らないというより無頓着の感じのようだ

でも、この子(Aちゃん)が、こんなことを言えるようになったことに
少し感慨を覚える
1年生の頃は無邪気に手を繋いで、他愛のない話をしていたが
下級生が入ってくると、手を繋いだりおしゃべりをするのは下級生相手に移った
少し大きくなったAちゃんは後ろから全体を見ながら歩いている
しっかりしているので、いつまでもおぼっこい6年の男の子より
ずっと信頼できるほどだ
Aちゃんとは以前ほど無邪気なおしゃべりはできなくなっているが
それが「成長するということ」と思い直している

でも、下校時に出くわして「おかえり」「ただいま」と挨拶を交わし
ちょっとおしゃべりをすると、朝のどこか緊張感のある空気感は全くなく
以前の無邪気な姿に戻っている
「また〇〇曜日にね!」「うん」お互い、そう言って別れる

しばしば、近所の小学生のこの名前を言える!ってことは良いことだと思う
子どもたちもどこかこちらを信用して、素の自分を見せるようだ

地域で子供を育てるということは昔は当たり前のようにあった
怒りっぽい親父だとか、学校行事にいつも来る人だとかは
子供がどこの誰かということは知っていた

でも今は、、、時代が変わってしまった

登校時の子どもたちとの会話は、親御さんたちが知らない内容の場合もあるので
時々、親御さんに会うと、「こんな話をしたのですよ」と伝えると
子供の別の面が見るようでとても驚くことがある

子供を通じて大人とも会話ができるようになる
それは、実質的に社会にとっても良いことのようだ