昨日、人はお金が溜まると出費を抑えたくなるとか
もっと増やしたくなる!と、ここに書いたが
ある本を読んでいたら、まるで共時性の出来事のように
以下の文章が目に入った
「君(エマニュエル・ドット)が以前
グローバル化した経済がもたらした病理について
話していたことを思い出した
月収20万円くらいの人が、それを30万円に増やしたいと思うのは
経済合理性に説明がつくかも知れない
しかし、月収2000万円の大企業のトップが、まだ少ない
もっと増やしたいとすれば、それはもはや経済的な合理性とは
何の関係性もない、病気だと」
大金を持ったことはないので、いざその立場に立てばどう思うかは
正直なところわからないが、少なくとも現時点ではこの考え方が
すっと頭に入る
それは倫理的とか道徳的な問題と言うより、病気だ!
と断言しているところが、面白い
それは一人だけが幸福な社会は全体として幸福な社会か?
その拡大版として、1つの国だけが幸せな社会は幸福な世界か?
との連想が働く
これは先日、中道改革連合の小川淳也氏がスペインに招かれた時に
どこかの方(スウェーデンの方)が発言した
「今の世界は自国だけ幸福なら良いという世界ではなくなっている」
との考えと同じだ
現代社会に広がりつつある自国中心主義は
搾取どころか少数者が収奪をする社会となり
結果的に敵を作り社会の安定から離れていくというものだ
そして独裁国家とか権威主義国家の経済は所謂、民主主義国家よりも
低迷するという事実として明らかになっているようだ
以前「国家はなぜ衰退するのか」を読んだ時の結論は
国家が衰退するのは、少数者の収奪が大きな原因とされていたが
やはりそれなりの数の人が同じ様な結論としているようだ
収奪に似た言葉に搾取があるが、ピンハネのニュアンスがある搾取よりも
根こそぎ奪っていく収奪というのは、本能に根ざすものかもしれないが
ヤバい病気と断定したほうが良いのかも知れないとも思う
それにしても、何か余裕がなくなっている社会なのは田舎にいても実感する
もう少し皆が笑い合えるような
人の幸運を喜べるような社会にならないかな、、と思う
それはきっと、大きな覚悟を持って何かすると言うより
ちょっとした気遣いだけで、できそうな気がする
でも、それすらもする余裕がなくなっているのだろうか